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また今年も夏休みがやってきた。 と言っても、大人の私には関係ないが(笑)。 子供の頃、楽しいはずの夏休みの中で、嫌いなものがひとつあった。 もっとも、ほとんどの子供が嫌いだったと思うのだが、ようするに、 夏休みの宿題 が嫌いだった。 日記も嫌いだったし、工作も嫌いだったけど、一番嫌いだったのが、 読書感想文 だった。 あれは小学1年だったか、2年だったか、よく覚えていないのだけど(バカだから)、読書感想文の宿題用にと、母親が一冊の課題図書を買ってきたことがあった。 それまで、本といえば漫画しか読んだことがなかったのに、いきなり目の前に本を出されて、「これを読みなさい」などと言われて、非常に困ったものである。 しかも、その本は、ページをめくると、活字がいっぱい印刷されてある(当たり前だ)。 教科書よりも活字が多い。 小学校低学年で、読書の習慣のないものにとって、強制的に本を読まされるのは、拷問に等しいものである。 国語のプリントとか、算数のドリルなどは、わりと早く片付けてしまうのだが、工作と日記(!)は8月下旬にならないと出来なかった。 本も読まなければ・・・、と思いつつも、手が出せなかった。 そして夏休みも残すところあと1週間、という時期になって、ようやく本を読み始めたのである。 いや、本を読む、というより、活字を読む、と言ったほうが適切かも知れない。 なんとか時間をかけて、活字を読んでいった。 しかし、物語は頭の中に入ってこなかった。 登場人物の名前を覚えられないのである。 外国の物語だったのだ。いわゆる翻訳ものだったのである。 太郎とか花子とかいう名前ならすぐに理解ができただろうが、リチャードとかキャスリーンとかスティーブンとかコーデリアとか出てきた日には、誰が何をした人なのか、ちんぷんかんぷんである。 後ろの方になって、また別の人が出てくると、あれ、この人は何だったっけ、と、また前の方を読み直さないと解らないのである。 今でも翻訳ものは苦手だ。 名前を覚えるのが苦痛ですらある。 だから、翻訳ものを読むときは、目次のそばのページや、カバーの折り返しの部分に書いてある「主な登場人物」というところから目が離せない。 似たような名前があると、こんがらかってしまうこともある。 今でさえこうなのだから、小学校低学年の自分に、理解しろ、といっても無理な相談なのだ。 それを母親監視の下、なんとか読み終えたのは、2学期が始まる前日だった。 そこから読書感想文を書こうとしたのである。 でも、「活字」は読み終わったものの、物語は頭の中に入っていないので、もう一度始めのほうのページを開きながら、なんとか原稿用紙の升目を埋めていったのである。 その晩、夕飯を食べ終わってテレビを見ていると、母親が私を呼んだ。 行ってみると、ランドセルが開けられ、先ほど書いた読書感想文の宿題を、母親が読んでいた。 あ、何するんだよー、と思ったのだが、母親は私を見ると、ビシッとこう言った。 これは読書感想文ではありません! せっかく書いた宿題を、母親は否定したのである。 おとなしい少年だった(笑)私は、何も言い返せなかった。 これは、読書感想文ではなくて、「あらすじ」です。 と母親は言った。 あれだけ苦労して書いた文が、読書感想文ではなかったとは・・・。 そこからテレビを見るのを諦めて、机に向かったのに、結局書き直しは出来なかった。 何をどう書いていいのか、解らなかったからだ。 で、結局それをそのまま提出してしまった。 その点数がどうだったのか、今では全然憶えていないけど、「あらすじ」しか書いてなかったのだから、相当悪い点数だったのだろう。 でも、あらすじを書けたということは、その本を一応読めたということだよね。 うしろの解説だけ読んで、適当な感想文を書くヤツよりは、よほどマシだと思うのだけど。 それ以後、私は読書感想文の宿題を提出したことは、一度もない。 いつも普通の作文だけしか書かない。というか、書けない。 母親も、そのとき以来、二度と課題図書を買うことは無かった。 友達のうち何人か本好きな子もいて、ドリトル先生シリーズとか読んでいたけど、私はとても本を読む気にはなれなかった。 読書感想文の恐怖(?)が尾を引いていたのだと思う。 ようやく自主的に本を読むようになったのは、5年生になって同級生にルパンシリーズを教えてもらってからである。 今の私に、また読書感想文を書け、と言われても、書けないだろう。 この読書感想文とは、いわゆる学校の先生達や、文部科学省のお役人たちが喜びそうな感想文という意味で、である。 今でこそ、年間120〜150冊ほど本を読んでいるが、その感想を書け、と言われても、私には次の言葉くらいしか思いつかない。 あ〜、面白かった。 これで終わりである。 これ以上の感想はない。 面白く読めれば、それで良いのである。 ちなみに、「あ〜、つまらなかった」という感想はない。 なぜなら、つまらない本は、最初の方からつまらないので、最後まで読まないのだ。 「この本はつまらん」と思った時点で、放棄してしまう。つまらない本を延々読むのは、時間の無駄だと思っている。 毎年秋になると、読書感想文のコンクールみたいなものがあって、文部科学大臣賞とかいろいろな賞があるようだけど(よく知らない)、若い身空でよくそれだけの文が書けるなと感心してしまう。 でも、「主人公がこれこれこうなった時、私はこう思いました」なんて、ホントにそんなこと思いながら本を読んでいるのかね? 私は本の中に入り込んでしまっているので、そのように客観的に、言い換えれば醒めた目で内容を見ることは出来ない。 本の中に入り込んでしまったからこそ、読み終わったあと、「あ〜、面白かった」と心から言えるのである。 あのような、コンクールに入賞するような人たちとは、根本的に頭の構造が違っているのだろうけど、そういう人たちとは、あまりお近付きになりたくないなぁ。 もっとも、向こうの方が、私のような空気頭の人とは接したくないと言うだろうけど(笑)・・・。 |
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私小学校の時、趣味が図書館通いと言うほど本好きでした。でも正しいと言われることに自分を合わせるのが嫌いだったので“感想文はいらない”という題で作文書いた子どもでした。 |
花猫 2005/07/27 00:08 |
こんばんわ。何を隠そう、読書感想文でいつも表彰されてた私です!わはは。何を思って書いてたかっていうと、「大人にウケる文」「大人が求めてる子供らしさ」ですよ。それは、もう。そういうカンだけは達者だったし、本なんて全く興味がなかったので、むしろ何の思い入れもなく書けたという、嫌なガキでした。今はどうなのか知りませんが、そういうウソくさい文が評価された時代だったんでしょうね。国語のテストなども、たぶん同様じゃないでしょうか。親や先生が喜ぶのはうれしかったけど、自分は何の感慨はなかったなあ。感想文を書くための読書なんて、おもしろいはずがないですもんね。書評家とか映画評論家って、ホント大変な商売だと思う今日この頃です。 |
ぴぴ 2005/07/27 00:16 |
すご〜い、花猫さん。尊敬しちゃいます。 |
七代目 2005/07/27 00:19 |
ぴぴさん! |
七代目 2005/07/27 00:27 |
今日ラジオで読書感想文の話題をやっていました。やはり賛否両論あるようです。「こうやって無理やり書かせるから尚さら本嫌いになってしまう」とか「こういう機会にでもじっくり本を読まないと今の子は本を読まない」とか…。 |
alpha echo 2005/07/29 00:05 |
alpha echoさん、いつもコメントありがとうございます。 |
七代目 2005/07/29 02:19 |
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